大使は馬車で宮殿にやってくる 東京・丸の内から1キロ

7時12分
大使が馬車で宮殿にやってくる――。おとぎ話のような風景が、東京・丸の内のビル街で毎月のように繰り返されている。皇居で行われる「信任状奉呈式」に出席する新任の駐日大使を、宮内庁が馬車で送迎しているのだ。13日にはギリシャフィンランドの駐日大使が招かれた。
 13日午後2時35分。ギリシャ大使一行の馬車列が明治生命館前から走り出した。皇居正門の前ではファンや外国人旅行客らの人垣が待ち受けている。全長100メートルを超える馬と馬車の列がやってくると、一斉にカメラ付き携帯電話などを向けて大使らに手を振った。
 信任状奉呈式は、日本に着任した外国の駐日全権大使が、自国の国家元首などからの「信任状」を天皇陛下に差し出す儀式だ。天皇の国事行為のひとつで、往復の送迎は宮内庁が「車か馬車」で行うよう定められている。「問い合わせると、ほとんどすべての大使が馬車を希望しますよ」(宮内庁)。宮内庁によると、08年は37カ国が馬車で皇居を訪れた。海外で新任の大使の送迎に馬車を使っているのは英国やスペインなど数カ国という。
 馬車の出発地点は、かつてはJR東京駅前だったが、工事のため今は東京・丸の内の明治生命館前。ここで大使一行を乗せ、皇居正門を通り、皇居・宮殿の南車寄せまで1.1キロ、7分足らず。つかの間だ。しかし、都会の真ん中を騎馬隊に守られて進む馬車列のファンは多く、宮内庁は数年前からホームページで予定を公開している。
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 大使が乗る儀装馬車は「二頭引き座ぎょ式」。つまり馬2頭が引っ張るタイプだ。御者は宮内庁車馬課の職員。大使の随員たちが乗る後続の馬車も二頭引きだが、やや小ぶりで、最大で2台が続く。
 焦げ茶色の優雅な大使の馬車はいつ作られたのだろう。宮内庁によると、おそらくは明治から昭和の初めとか。「いつ、だれが作ったのかまでは残念ながらわかりませんが、国産品です。第一級の美術品ですよ」と、大滝宏二・車馬課長は話す。内装やいすの張り替えなどは随時、京都の美術織物の専門店などが担当しているという。
 馬車を引く輓馬(ばんば)は、体重600〜700キロと重量級で力持ちの「クリーブランドベイ」などの馬種。計16頭が宮内庁に飼われている。
 乗馬用も合わせると、宮内庁は皇居で総勢33頭の馬を飼っている。そのほとんどが宮内庁の管理する御料牧場(栃木県)で生まれ、2歳の時に選ばれて皇居にやってきた。大半がオス。馬車を引いたり人を乗せたりできるようにしつけられ、万全を期して「都心デビュー」する。
 20歳を過ぎると、再び御料牧場に戻って余生を過ごす。引退の時は、両陛下が訪れて「ごくろうさま」とねぎらうこともあるという。
 現在、最長老の輓馬は88年生まれの「国正(くにまさ)」。最年少が今年3月に皇居に来た「月宝(つきたから)」や「月杉(つきすぎ)」で、07年生まれ。名前の上の文字は生まれた年の「歌会始」のお題から、下の文字は母親の名からもらうことがほとんどという。
 皇居の森には厩(うまや)を始め、室内と室外2種類の馬場などの設備が完備されている。日中一般公開されている東御苑では、毎日早朝、練習用の馬車を引いて走る馬たちの姿が見られる。世話役である車馬課主馬(しゅめ)班の人々は夜も交代で3人が泊まり、馬の体調に心を配る。毎月すべての馬の蹄鉄(ていてつ)を自分たちで付け替える。獣医師も常勤が1人いる。
 大使を護衛する騎馬隊は、先頭が警視庁だが、馬車の前後を守っているのは日ごろ天皇、皇后両陛下の護衛を担当する皇宮警察の護衛1課だ。皇宮警察の馬14頭も、やはりみな皇居の森に暮らしている。(斎藤智子)