直江兼続は天皇の倍額を寄付 北野天満宮の屋根修理で

 安土桃山時代から江戸時代初期の武将直江兼続(1560〜1619年)が、学問の神様、菅原道真を祭った北野天満宮京都市上京区)の屋根修理費として、天皇の寄付額の倍に当たる米100石を寄付したことを示す古文書が同天満宮に残っていたことが24日、分かった。
 記載された人の中では最高額で、鑑定した藤井譲治京都大教授(日本近世史)は「学問に秀でた兼続が、天満宮を支援したのでは」と推測。兼続の“太っ腹”ぶりを示す史料として注目されそうだ。
 古文書は1588(天正16)年の「北野檜皮葺奉加帳」で、北野天満宮が所蔵。修理費用を負担した人の名前と金額が筆書きされ、最初のページには身分の高い7人が掲載されていた。
 6人目に直江兼続を示す「越後 直江山城守殿」と書かれ、寄付額は「米百石」だった。
 当時の換算では約20両で、黄金2枚分に相当。同じページには「位御所様 黄金壱枚」などの記載もあり、後陽成天皇と、正親町天皇だった正親町院がそれぞれ黄金1枚を寄進したことを示している。
 藤井教授によると、兼続は、生まれ故郷の越後国の一部が室町時代北野天満宮の領地だったため寄付したとも考えられるという。
 また豊臣秀吉の妻ねねは「黄金壱枚 政所殿様」とあり、後陽成天皇や正親町院と同額だった。ねねの次の行には「黄金弐枚 密々」と記され、秀吉の名前を伏せて、黄金2枚の寄付額だけを記載した可能性があるという。
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